「電線絵画展」@練馬区立美術館

「電線絵画展」@練馬区立美術館に行ってきました。


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入り口でクマがお出迎えしていました。


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送電鉄塔はわざわざ見に行ったこともあるくらい好きだけど電柱はなるべく地下に埋めて欲しいと思う自分勝手さなのですが、エヴァンゲリオンでは電信柱とか電線はいつも細かく描き込まれていた印象があるし、チラシを見て面白そうだと思っていました。


日本の美術史上は、明治2年に電信が開通してからしばらくの間は流行の最先端、文明開化の象徴のように電信柱が描かれていたそうです。


その後、東京市内に電気が走るのは明治20年。約20年も電信柱と電柱の間に隔たりがあり、電柱が新しく建っても電信柱と電柱電線の区別が付かないため電柱には目新しさもなく、そんな中で描かれることも少なくなっていった、ということのようで、明治~大正時代の作品中心の絵画と、明治~昭和にかけての碍子の展示が中心の展覧会でした。


碍子という言葉は会社名の「日本ガイシ」がCMで印象に残ってるくらいで、何のことかと思ったら、電線用絶縁体で、電線に取り付けられているアレのことのようです。磁器で出来ているものが多いそうです。不思議な形状。初めてちゃんと見ました。


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それから、電柱のある風景と無い風景の対比。


川瀬巴水 大正14年「浜町河岸」
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吉田博 大正15年「東京拾二題 隅田川
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ほぼ同時期、同じような景色のはずなのに、川瀬巴水は描き、吉田博は描いてない。多分「ある」方が本当だから、吉田博は描きたくなくて描いてないんだと思うと、色々想像も膨らみます。


他、特に印象的だったのは佐伯祐三小林清親岸田劉生木村荘八山口晃のマンガ、三代目国貞の双六、デンセンマン(!)など。



思わず探してしまいました。
最近CSで「前略、おふくろ様」をずっと見ているので小松政夫度数が高いです。なんというか、バカバカしくて、元気になりますね。解説に「親分、合掌」と書いてあったのは、小松政夫が親分だったのか。先日五郎さん(田中邦衛)も亡くなって本当にショックだったし、寿命があるから仕方がないけど良く見ていた方が亡くなるのは淋しいです。


電信柱、ノスタルジーと共に今後は少し見方が変わりそう。