サイババ。



サイババがお亡くなりになったそうだ。


私は彼の信者ではないけれど、彼があまり腕の良くない手品師だったとしても、彼の成した功績は意味のあることだと思うし、何かと私の記憶の端々に残る人でもある。


初めて行ったバリで、滞在中の運転手兼イングリッシュ・ガイドをしてくれたお兄さんは、いつもサイババの写真入りのネックレスをしていた。
中庭に池のある、植物でいっぱいのオープンカフェで、私が「日本でも彼は有名な人だよ」と言ったら、彼はとても嬉しそうに微笑んだ。
でも私が「彼はイスラム教だっけ?あれ?仏教?」と聞いたら、彼はサッと表情を曇らせ、「ヒンズー。多分ね」とそっけなく答えた。
ごめん、適当な日本人でごめん。


サイババに会うために何度もインドを訪れていた友人は、今どこでこのニュースを聞いているんだろう。どこかで元気にしているんだろうか。


昔、どこで買ったか覚えてないけど「なんだこれ」と衝動買いしたサイババのジャケット写真の付いたカセットテープ。
結局一回もまともに聞いてないけど、多分家のどこかにあるんだろうな。
何が録音されているんだろう。音楽なのか、説法なのか。


この機会に探して聞いてみようか。
合掌。

帰郷

地震津波の影響で実家に帰る術が無くなってしまっていたけど、やっとレンタカーが借りられたので、姉と姪っ子達と共に茨城に帰郷してきた。


北上するにつれ、車道にはアスファルトのパッチワークが増えていき、崩れた屋根を覆うブルーシートが増えていき、ぐちゃぐちゃになったまま通行止めの道路があったりして、当たり前なんだけど、大地震が本当に来たんだなと改めて思った。


実家は少しだけ建ち位置がズレて、床が歪んで、あの重たいアップライト・ピアノが勝手に15cm位移動していて、庭や外壁に亀裂が入ったり、カチカチだった庭の土がフカフカになったりしていた。


海岸沿いには瓦礫が山積みされていて、ぐちゃぐちゃに壊れた舟や車や建物があった。


東北の事を思えばまだ町が残ってるだけ良かったと言えるのかもしれないけど、良く知る場所のこんな姿を見るのは、やっぱりショックだった。


でも、そんな状態の街中をもう子供達が自転車乗り回してたり、もう「みんな一緒なんだから、贅沢なんて言っていられません」とか「戦争体験してるから平気」なんて言って復興に努め日常生活を続けようとしていたのだった。


日常を続ける事が大事なんだね。日常って大事だ。

小旅行

太陽のような人たちと、水元公園ツアー。


パンパスグラスもちょっとだけあり、広い広い公園の、木々と、水と、青空。


夕方からは、マンションのゲストルームを借りて、美味しいものをたくさん飲んで食べて、たくさん話した。


翌日は柴又帝釈天まで散歩して一旦帰宅し、現実に戻って勉強会。


この太陽のような人たちとの良い関係が、これからも続きますように。

アルブレヒト・デューラー版画・素描展



アルブレヒト・デューラー版画・素描展@国立西洋美術館へ行ってきました。


神様も月も太陽も天使も、人間のようでいて、美しくもあり、恐ろしかった。


「昔々、神様が人間とともにお歩きになっていたころ」というような書き出しで始まる北欧の物語を読んだ記憶があるけど、その時代は、こんな風景だったのだろうか。


もっともっと時間をかけて見たかったなあ。
ゆっくり見たけど、もっと見たかった。


金欠と、勉強中につき、カタログはおあずけ。
絶対すごく楽しめそうなのに。
カタログにはA3ポスターもついてて、素敵過ぎる。
絶対買うから、売り切れないで。頼む。お願い。


旅日記も必読の書。

デューラー ネーデルラント旅日記 (岩波文庫)

デューラー ネーデルラント旅日記 (岩波文庫)

ゴッホ展@国立新美術館



行ってきました!


混んでたけど、閉館ギリギリまで居たのでゆっくり近くで見ることが出来ました!


ゴッホだけじゃなくて、ゴッホに影響を与えた画家の作品やゴッホのエッチング、再現されたゴッホの部屋も黄色い家の絵と共に見れて、良かったです。


一番好きだったのは「マルメロ、レモン、梨、葡萄」。
自らペイントを施したという黄色くてシンプルで分厚い額縁の中に、沢山の黄色を重ねて描かれた黄色い静物画。


暖かくて優しくて、美しかったです。

「じゃがいも」「タマネギの皿のある静物」「サン=レミの療養院の庭」「ヒバリの飛び立つ麦畑」等を見ながら、ゴッホの描く植物はやっぱり好きだなあ、と改めて思ったりしました。


なんというか、溢れる感じが。


行けて良かった。

昔話



高校時代のセンパイに、卒業して何年も経ってから言われた言葉があまりにも素敵で、
たとえ私がこの世に一人きりみたいな気持ちになることがあっても、生きていけると思った。


その時に、はっきりそう思った。


それからまたずいぶん月日が流れたけれど、今までも、これから先も、ずっと心のどこかでその言葉に守ってもらえるんだと思う。


感謝してます。