田舎だからすごく近くで容易に見れて良い。
素晴らしかった。
田舎だからすごく近くで容易に見れて良い。
素晴らしかった。
家の隅に自生した夏ミカンの木が1本、大きく成長して毎年良く実を付けるけど、今年は平年以上にたわわに実を付けていた。
採るのはまだまだ先だけど、このままで良いのか不明。
あと藤蔦ヤバイ。次に帰るときには何とかしなきゃ、乗っとる気満々すぎて怖い。
前回頑張ったけど、既にジャングル状態………
今回は暑いので見なかったことにした。無理です。
仕事終わりにそのまま先輩のお店で、素晴らしいお刺身盛りとブロックベーコンとポテトサラダ、マリンちゃん、ユルくて良い感じのセッション、オーティス。
お店はフードメニューは無いけど、お任せのお料理は全部美味しくて、マリンちゃんは抜群に可愛くて大人しくて良い子でした。
オーティスは昔良く聞いていたしプレイした。
色々と思い出す。昔は思い出したくなかった記憶も今では懐かしいと思える。
それだけの時間が経ったんだな。
瞑想に興味を持ったからなのかもしれないけど、世の中にスピリチュアルなものが溢れすぎなんじゃないかと。
オカルトも都市伝説も手品も好きだけど、スピリチュアルなものって新興宗教とかマルチと同じような違和感と抵抗感を感じます。正しいとか正しくないとかは別に知らないしどっちでも良いけど、好きじゃない。
何か変だと思ったり違和感を感じたら、その違和感は手放さないで大事にすることにしているので、声を出す瞑想はとても興味深く面白かったけどやっぱりもう行かないことにして、行かないことにしたらちょっとすっきりしました。波動を切ったり繋げたりして見せられるのがどうしても素直に受け入れられなかった。それが無きゃなあ。
他にも、スピリチュアルを商売にしてる心理学者だの画家だの、ほんと多すぎ。気を付けよう。
………って言いながらどんなのがあるのか調べては眉間にしわ寄せたりして。見なきゃ良いのに勝手だ。
都内にある映画のイメージのカクテルを作ってくれるバーに行ってみたい気はするのだけど、接客に難があるらしい。
先日都内の某ぼったくり居酒屋の口コミを見つけたので興味本意で読んだらそれだけでも結構気分が悪かったけど、それを上回る、「見たことも無いような」「信じられないような」酷い口コミが多数でびっくりした。
ちゃんと楽しめている人もいるようだけどずっと引きずるほど嫌な思いをしている人も沢山いるようで、そういう接客を長年許してきたお店で簡単に接客態度が改善されるハズもないので、「あえて酷い接客を見てみたい」なら是非どうぞと言うところだけど、そうでもなければ行くのは止めた方が良さそう。
でも映画のタイトルのカクテル、気になる。飲んでみたい、と思って色々見てたら、そのバーの関係者と思われるバーテンさんが昔出した本があり、見るだけでも楽しそうなのでポチっとしました。
でも映画が好きで、バー経営しよう、バーで働こうとするような人たちが、何故そんな失礼な接客してるんだろう。
良く分からない。変なの。
カザフスタンのフィギアスケート選手、デニス・テンが強盗に襲われてお亡くなりになったそう。
デニス・テンというと、初めてのバンクーバー・オリンピックのショートプログラムが素晴らしかったことと、フリー演技の時、小塚選手が自分の演技の後に滑るデニスに「デニス、頑張れー」と声援を送っていたのが思い出されます。小塚選手の人の良さと、小塚選手とデニス・テン選手の仲の良さが伺える印象深いシーンでした。
その後彼はソチ・オリンピックで銅メダルまで取る選手に成長して、まだまだ活躍出来た筈なのにあまりにもひどい。
犯人は車のミラーが欲しかったらしいけど、そんなことで命を落とすとは本当に可哀想であってはならない事件です。デニス・テンとは知らなかったと言ってるみたいだけど本当だろうか。ちゃんと調べて欲しいです。
ずっと親交のあった小塚選手や彼を知っている人はどんなにショックだろう、カザフスタンの人たちはどんなに悲しいだろう、と思う。
カザフスタンの英雄、どうか安らかに。
「フジコ・ヘミングの時間」見てきました。
『人生とは時間をかけて私を愛する旅』
どれだけ絶望しどん底をさ迷ったかはかり知れませんが、その言葉通り、人生を諦めずに歩んできたから今のフジコ・ヘミングのピアノの音色や生活があるんですね。ピアノ、風景、アンティークの家具、猫や犬たち。彼女自身の佇まい。素敵です。
冒頭の言葉を今までの人生で実感しそんな風に生きてきたから、波乱万丈の芸術家は大勢いても唯一無二のフジコ・ヘミングなんだと思いました。
ノスタルジックで美しくて優しい。
時間をかけて全てを受け入れたのかもしれません。そんな風に感じました。
子供の頃の絵日記も細かく描かれていて可愛かった。
世界各国でのコンサートでは、コンディションの悪い、誰にも弾かれてないようなピアノに出会うこともあるそうで、これは持ち歩けない楽器だからこその苦労ですね。フジコ・ヘミング程のピアニストが未だにそんなピアノを弾かなければならないことがあるとは驚きです。本人は鳴らないピアノに苦労して、聴いて欲しくない、弾きたくないと思うこともあるかもしれないけど、そのピアノにしてみたら、長年大切にされてなかったかもしれないけどフジコ・ヘミングによってまた命を吹き込まれたなら良かったし、それをきっかけにまた誰かに弾いてもらえるようになったかもしれない。
生のフジコ・ヘミングのピアノの音を聞いてみたいです。ピアノがベストコンディションでなくても、その時のライブを聞いてみたい。とはいえもちろん言うまでもなくベストコンディションに越したことはありません。もちろん。
丁度明日から申込始まる。
チケット取れるかなあ。取れます様に。
活動弁士&生演奏付サイレント映画ライブ「第七天国」@調布市グリーンホールに行って来ました。
誘われるまま何の予備知識も持たずに見たので、こんなに色んな要素の詰まった甘い甘い純愛映画だったとは知らず。
泣きました。
以下あらすじ完全ネタバレです。
これから見る方は以下読まないでください。
下水道清掃人のシコは、道路清掃人になることを望んで暮らしていた。シコは無神論者だった。神様がいたら特別な存在の自分が下水道清掃人のはずがない、だから神は居ない、という。一方ディアンヌは、酒浸りの姉に虐待され絶望していた。二人は出会い、ディアンヌがシコの暮らすアパートに身を寄せることになる。長い長い螺旋階段を二人で登って行く。天国に近い安アパートの7階をシコは「第七天国」と呼んでいた。「働く場所は地下でも住まいは星に近いんだ」隣のアパートと繋いだ渡り廊下を恐がり渡れないディアンヌに「下を見ずに上を向いて歩かなきゃ」と言うシコ。ディアンヌはシコを愛し始めていた。シコは少しずつ心を開いていくが、ディアンヌに愛してるとは言えずにいた。「シコ、ディアンヌ、ヘブン」代わりの愛の言葉。やっとお互いの気持ちを伝えて幸せになれた二人を戦争が引き裂いてしまう。毎日11時に帰ってくると言ってシコは出征していく。離ればなれの間も二人は毎日11時にお互いを想う。戦争で爆撃され負傷したシコは「死ぬときまでシコは上を向いていたと、ディアンヌに伝えてください」と言う。ディアンヌの元に届いたシコの死亡通知。戦争は終わった。その時、視力を失ったシコがディアンヌのところへ帰ってくる。螺旋階段を駆け上がりながらディアンヌの名を呼ぶ。長い螺旋階段を登りきり、やっと二人は第七天国で再会する。
ネタバレしてしまいましたが、悲しい結末にならずに本当に良かった。ディアンヌが健気で可哀想で、幸せになって欲しかったから。それから下水道で働きながら神様より自分を信じて上を向いて生きていたシコが、最後には自分で幸せになり、二人でこの世の天国を作れて良かった。
視力を失ってもシコの目はディアンヌの美しいウエディングドレス姿で満たされている。戦争の理不尽さを伝える戦争映画が多い中(それが目的とも言えるけど)、理不尽に引き裂かれ厳しいけど生き抜いて、やっと幸せになれた二人を見て本当に良かったと思いました。
第1回アカデミー監督賞、主演女優賞、脚本賞受賞、
作品賞、美術賞ノミネート。
1927(昭和2)年度キネマ旬報ベストテン1位。
名作映画の原点だったんですね。
それから、サイレントで見ても良いと思うけど、活動弁士と生演奏も素晴らしかったです。沢登翠さんとカラード・モノトーン。サイレント映画ライブを年間数十回も行っているそうです。
気にしてみよう。